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法月綸太郎『誰彼』 

誰彼(たそがれ) (講談社文庫)誰彼(たそがれ) (講談社文庫)
(1992/09)
法月 綸太郎

商品詳細を見る
(ノベルス版は1989年)

「客観的」評価 :★★★★★★★☆☆☆
   偏見評価 :★★★★★★★★☆☆
  キーワード :若さ故の過ち

     本格度 :★★★★★★★★
     ロジック :★★★★★★
     トリック :★★★★★
     意外性 :★★★★★★★
     緊迫感 :★★★★★★★
    読み易さ :★★★★

<あらすじ>
謎の人物から死の予告状を届けられた教祖が、その予告状どおりに地上80メートルにある密室から消えた!   そして4時間後には、二重生活を営んでいた教祖のマンションで首なし死体が見つかる。死体は教祖? なぜ首を奪ったか? 連続怪事の真相が解けたときの驚愕とは? 新鋭の骨格豊かな力作。
(裏表紙より)

   
 再読。法月綸太郎シリーズ2作目。

 話の核心は、首なし死体の正体と、首が切られた理由、そして犯人はだれかという三点(あらすじにある密室は全く問題ではない)。

 この小説では、①明らかになっている事実に基づいて推理がが為され、②その証拠を実地に確認すると推理が間違いであること明らかになり、③またさらに推理が為される、ということが繰り返されます。一つの問題に対してどのくらいの推理が成り立つかに挑戦したかのよう。綸太郎(もしくは脇役陣)の推理が片っ端からブッ潰されていくのは読んでて爽快感すら感じました。完成度は高くないけど、目がまわるような勢いがあります。

 あとがきでは作者が執筆当時を振り返り、「若気の至り」、「ここまで徹底してやってしまったら、もはや愉快を通り越して、痛快ではないか」、「自分でもどうしてこんなものが書けたのか、よくわからない」「ひょっとしたら、気が狂っていたのかもしれない」、「この本は、私にとって、かけがえのない宝物のような本である。今ではもう悪ずれしてしまって、こんなふうには、書きたくても書けないのだから」としています。確かに善悪を超越したすごさがあったと思います。
 
 ネット上で調べてみると世間的な評価はイマイチなようですが、僕はこの作品はとても良いと思います。


 ところで。探偵役としての綸太郎は、他の作家の探偵役と比較してやはり一味違いますね。普通の探偵は、真相を断定するのは一回のみ。あちこちに仕掛けられた落とし穴に引っかかるのは相棒役で、自分は最後の最後に真相を断定してみせます。ところが綸太郎は突っ走って、したり顔で「真相」を解説しながら落とし穴にはまる。そしてまためげずにまた突っ走る。面白いキャラクターです。

<印象文章>
「ある人物が、事実Aを知っている事を証明する事は可能ですが、事実Bを知らないことを本人でない観察者が証明することはできない。事実Bを知っている人間は、表面上それを知らないふりをすることが、どこまでも可能だからです」
「しかし、彼らが被害者の秘密に接する手段を、持たなかったことを証明することは可能だろう」
「無理ですね。簡単な反証があります。…………その三人に、同じ種類の偶然が起きなかったと断言することはできません」


「――前々から思っていたんだが、おまえを含めた本格ミステリマニアと呼ばれる連中は、生粋のマルクス主義者とそっくりだな。排他的で、視野が狭くて、言ってることは百年前から変わっていない」
「よせやい」
「まあ聞け。本格推理小説と社会主義の、現代における共通点は何だか知ってるか?」
「何だ、それは」
「本気でそんなものと取り組んでいる連中は、救いようのない馬鹿ばかりってことだ」
…………
「ご心配なく。本格推理小説というジャンルは、今でもすたれずに、ちゃんと存続してる。僕が飯を食っていけるのも、そのおかげだ」
「ソビエト連邦だって、存続してるさ。しかも二億数千万の人間が、それでパンを食っている」

(書評:5)

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